10月1日。今日は父の命日。
他界してもう28年。28年って、なんかすごい。
まだそんなに経っていないようで、十分な時が経っている。と、思う。
でも、そんなに経っていないと感じるのはきっと、自分はまだまだ父の背中を追っているからかな。それとも、後悔の念が拭い切れないからかな。
父はまさに「昭和の男」という感じだった。赤い服を着ただけで、男のくせに!と引っ叩かれ、泣いているとやはり、男のくせに!と引っ叩かれる。弟がイタズラして怪我して泣いた時も、兄なのになんでちゃんと見てないんだ!とビンタされた。そんな人。
本人からは聞いてないけど、若い頃はボクシングをしていたらしい。プロになるかどうかと悩み、結局は将来の家族のために仕事を選んだと聞いている。
母と付き合っていた頃、変な輩に絡まれ、ビルの影に入っていったら、涼しい顔して一人で戻ってきた、なんて話も聞いた。運転中、無茶な追い越しをされ、その車を止めて運転手を引き摺り出そうとしたこともあったらしい。
でも、誰にでも優しく、まっすぐで正直な人だった。とも思う。
もし、まだ父がいてくれるなら、いつも思うことだけど、もっともっとたくさん話をしたい。
父という存在は、自分の中ではずっと変わらない。55歳までの父で止まったまま。
自分にとってはとても大きな存在のままだ。
偉大な人、という印象のままだけど、本当はもっと抜けていたり、普通に人間らしいズルさとか小さいところとかあったんだと思う。でも、それを知らないまま父は、この世から離れてしまった。
だから、自分にとっての父の背中とはいつまでも大きいままで、なかなか追いつけない。
もうすぐ自分も、父が他界した歳になる。年齢だけは追いつけるかな。
後悔の一つに、父が築いた会社を守れなかったというものがある。その頃、父の下で働いていたけど、なぜもっとしっかりやらなかったのか、自分がしっかりしていれば父の負担も軽くなり、あんなにも早い別れをすることもなかったのではないだろうかと、ずっと付きまとっていた。
「お前のせいじゃない」。父はきっとそう言うだろう。周りもそうだろう。でも、やはり拭い切れない。そんな後悔を抱えて、自分を責めて、逆にそれを言い訳にしてただただ時間を過ごしていた時間があった。
今でも正直、後悔の念あるけれど、でも、だからこそ自分らしく生きる。今はそう思えている。
父と同じでなくていい。追いつき追い越さなくていい。自分を生きていくことで、きっと今でも父が隣にいたら、いろんな話ができるんだろうな。
父に出逢えたことは、本当に、心の底から、ラッキーで幸せなことだったと思う。
父の顔も声も時が過ぎるごとに忘れていくのだろうけど、父の存在はいつまでも変わらず、大きな存在であり、支えであり、生きる目標の一つなんだ。
出逢ってくれて、ありがとう。育ててくれてありがとう。